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2026年7月23日
フィレンツェの北端からほど近いセスト・フィオレンティーノ。街並みはやがて工業地帯へと移り、その先にはアペニン山脈の丘陵が広がります。そこには、白いロゴを掲げた赤レンガの給水塔が、戦後に建てられた低層の工房群を見下ろすようにそびえています。朝8時、サイレンが鳴ると、何世代にもわたり受け継がれてきた家業を担う職人たちが次々と工房に入っていきます。ここにあるのが、1735年に創業し、現在も操業を続けるイタリア最古の磁器工房、マニファットゥーラ・ジノリです。この記事では、この“生きた遺産”とも言える場所の工房、アーカイブ、アトリエを巡ります。
その歩みは、ここから14キロ離れたフィレンツェ郊外ドッチァにあるジノリ家の邸宅から始まります。フィレンツェの名家に生まれた教養人、カルロ・アンドレア・ジノリ侯爵は、「白い金」と称される磁器に魅せられ、当時その伝統がまだ根付いていなかったイタリアにおいて、磁器工場の設立を決意しました。彼が思い描いたのは、ヨーロッパの名窯と肩を並べるマニファットゥーラでした。
アルプスの向こうではすでにマイセンが硬質磁器を確立し、セーヴルは洗練された食器の基準となりつつありました。一方でそれらの工房が節度ある色使いを重んじたのに対し、ドッチァのマニファットゥーラは色彩を積極的に取り入れました。深みのある青や緑、柑橘系の色調、豊かな花模様や大胆な顔料。メディチ家の実験的な陶芸文化とトスカーナの芸術的土壌を背景に、独自の表現を築いていきました。
18世紀にはすでにジノリの磁器はヨーロッパの邸宅を彩り、古典性とモダニティの間にある、いかにもフィレンツェらしいエレガンスと結びついた存在となっていました。その後の数世紀にわたりマニファットゥーラは発展と変革を重ね、19世紀にはリチャード ジノリへと発展し、2013年にはケリング・ グループの一員となります。しかしその変遷を経てもなお、製造の核となる工程は大きく変わることなく受け継がれています。
工場の上階にある造形部門では、石膏型が壁一面に並び、長年使い込まれた作業台が置かれています。ここでは熟練の彫刻師たちが、デザイナーのスケッチをもとに立体の石膏型を生み出します。その作業には極めて高い精度が求められます。磁器は焼成時に最大で12%収縮するため、この収縮を見込んだ設計が不可欠となります。
階下の鋳込み工房では、カオリン、長石、石英を主成分とする液状の粘土が型に流し込まれます。石膏型が水分を吸収することで内壁に徐々に層が形成され、やがて型を開くと、やわらかくマットな質感の「クルード(生地)」が現れます。
その後、取っ手やつまみ、注ぎ口などのパーツが手作業で取り付けられ、刃物やスポンジで丁寧に表面が整えられます。約1000度での初回焼成により、素地はしっかりと硬化します。
続いて施釉の工程へと移ります。作品は水と石英の混合液に浸され、約1400度で再び焼成されます。この工程によって表面はガラス質化し、気孔が消え、特有の硬質で白く半透明の質感が生まれます。さらに装飾が施される場合には、色彩や金属装飾、モチーフを定着させるため、三度目の焼成が行われます。
絵付けのアトリエ「ピットーリア」は、工房内で最も静かな空間です。そこでは、筆が磁器に触れるかすかな音だけが響いています。
ここでは、縁取りの金彩をフリーハンドで施す職人もいます。皿やカップの縁を描くその細い金のラインは、筆圧や曲線に個性が表れ、同僚であればひと目で誰の手によるものかが分かるほどです。
また、転写による装飾を手がける職人や、エアブラシで繊細なグラデーションを重ねる職人もいます。特に最も特別なコレクションでは、ルネサンスのフレスコ画技法に由来する「スポールヴェロ」の技法が用いられます。穴を開けた下絵を通して図案を転写し、その上に筆で仕上げが施されます。
ひとつの作品には6〜8時間の手仕事が費やされ、5〜8人の職人の手を経て、鋳込みから最終検査までに8日以上を要します。完成品として世に出るのは、その厳しい基準を満たしたものだけです。
上階の廊下を進み、造形部門の先に広がるのが「ヴォルトーネ」と呼ばれる空間です。アーチ状のギャラリーに設けられた棚は高さ5メートルに達し、数十万点に及ぶ石膏型が収められています。バロック様式の彫刻から古典的レリーフ、そしてこれまでに制作されてきたあらゆるテーブルウエアに至るまで、約3世紀にわたる創作の歴史が、ここに刻まれています。
この場所は単なる保存庫ではなく、現在も活用されるアーカイブです。デザインチームや製造部門はここを参照し、過去の作品を再解釈し、技術の蓄積を読み解きます。ここに息づくのは、ジノリの哲学です。すなわち、伝統への敬意と革新への自由、そしてその両方を理解する外部の創造性を受け入れる精神です。
この精神を体現するように、1923年にはジオ・ポンティがアーティスティック・ディレクターに就任し、幾何学的な意匠による「ラビリント」を発表します。1925年のパリ万国博覧会ではグランプリを受賞し、マニファットゥーラの名声は国際的な舞台へと広がりました。戦後にはジョヴァンニ・ガリボルディがその流れを継ぎ、「コロンナ」コレクションは1954年、イタリア初のコンパッソ・ドーロ賞を受賞しています。
近年では、イギリスのデザイナー、ルーク エドワード・ホールによる「イル ヴィアッジョ ディ ネットゥーノ」が、ギリシャ・ローマ神話をモチーフに、豊かな色彩で表現されています。また、「ジノリ ドムス」や「ジノリ アルテ」、さらに2026年の「オフィチーナ・ウルトラ」などのプロジェクトを通じて、磁器は家具や照明、ホームフレグランスへと展開され、空間との新たな関係を切り拓いています。
工房を後にするとき、意識は再びピットーリアの静かな集中へと引き戻されます。石膏の粉がうっすらと残る作業台、ヴォルトーネのアーカイブ、階下に広がる鋳込み工房や釉薬、窯。やがて中庭へと抜けると、頭上には給水塔が見え、一日が終わりを迎えつつあります。
マニファットゥーラ・ジノリには、変わることのない静かなリズムが息づいています。液体から固体へ、白から色へ、過去から未来へ。そして翌朝8時、再びサイレンが鳴り、職人たちがセスト・フィオレンティーノの工房へと足を運ぶとき、その営みは静かに続いていきます。3世紀にわたる磁器のサヴォアフェールは、いまもなお受け継がれ、手から手へと伝えられています。